日曜の夜にTVで映画「悪人」を観た。
原作の小説は昨年の9月に読んでて、その感想は『入院中の差し入れの一つが小説「悪人」』に書いた。

その後なんとなくこの映画を観そびれていたが、感想は小説から映画をイメージした内容とそんなに差異がなかったな。なんせ映画のキャストをイメージしながら小説を読んでいたから。(笑)

しかし、ただ月日の経つのは早いな。

昨年の今時分は入院生活3か月目で先の生活に不安を抱えながらも、どうすることもできなくて気楽に生きていたが、1年経つともうそんな入院生活のこともすっかり忘れてた。(笑)




え~少し古いゴルフ本の書評だが、なかなか読みたい本が少なくてね。(笑)

イサオそして私イサオそして私
(1999/11)
青木 チエ

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誠文堂新光社刊  1999年11月

<内容>
「足元に転がってきたウィニングボールを目にしたときから、「宵越しの金は持たない」を地でいくような生活をしていた人との旅が始まった…。プロゴルファー・青木功の妻として共に歩んだ20年の日々を綴る。」


以前読んだ中嶋常幸プロの律子夫人「ロープ ― “隔て”から“絆”へ 夫・中嶋常幸復活の軌跡」に続いて、超一流ゴルファーの妻の内助の功を知るゴルフ本ですな。

青木功プロは気さくで開けっ広げな性格でしゃんめぇという思い切りの良さと外人とでも気軽に話せる、日本人には珍しいプロですな。ワシは初心者の頃は青木功プロのゴルフ本をよく読んでかなり影響を受けています。

この本は妻チエさんが青木プロと出会い、行動を共にしてきた20年を語った本で、知らざる青木プロの姿や夫婦愛を教えてくれますな。

1978年ファイアーストーンの世界マッチプレーで優勝直後にグリーン上で抱き合った時に彼女が恋人としてマスコミに初めて登場したんだが(しかしまだ彼女は米国人の夫と正式には離婚していなかった)、その後も1980年バルタスロールの全米オープンでのジャック・二クラスとの死闘で2位とか、そしてその後のシニアツアー生活にはずっと妻として夫青木プロを叱咤激励とか、

二人三脚でのツアー生活の裏側や選手の奥様同士の付き合いとか色々面白く読まさせてもらえました。

この本を出したあと青木功プロは2005年11月世界ゴルフ殿堂入り授賞の時のスピーチで、

「世界中のファンやトーナメントのボランティアの皆さん、自分を生んでくれた両親やこれまで支えてくれた多くのスポンサー企業に深甚の感謝の言葉を続け、そして「ワイフのチエ」を最大の理解者であり献身的な努力を続けてきてくれた」

「ゴルフさえしていればよかった私はスーツを着てパーティーに顔を出したりするのは大の苦手で、嫌がる私を引っ張り出す彼女とはよく衝突しました。しかし、振り返ってみると、そんなゴルフコース以外のツアー生活がトーナメントで自分の力を出すための大きな原動力となりました」

「サム・スニードはこの世界で勝てないものは3つある、雷とベン・ホーガンと下りのパットだと言ったそうです。私にとって下りのパットはさほど怖くはありませんが、ジャックとチエにはいまだに勝てません」。ここでどっと沸き、笑いと拍手に包まれた。

そして最後に、
「私のわがままでマミーまで独占してさみしい思いをさせてしまった娘のジョエンに」といいかけて涙が落ちそうになった。何とかこらえて「ありがとう。アイ・ラブ・ジョエン」と語りかけた。

「米国に行くために女房を帯同するので、子どもは親のそばで育っていない。殿堂入りの晴れの舞台から「ごめんね」と謝った。家族で抱き合って泣いた。」という逸話が青木家の愛情を感じますな。

青木プロの人生を変えてくれ支えてくれたチエ夫人、名選手には良妻がいますね、




ただもう一人のトップであるジャンボは離婚したし、現役引退まで本を書かないと言っているので、この後にゴルファーの妻の内助の功として出せる可能性がある本としては、日本アマ六度優勝球聖故中部銀次郎氏夫人の克子さんぐらいかなぁ?

中部銀次郎氏の息子さん隆さんはで元廣野のクラチャンで現在尾道造船(本社神戸市、克子さんの実家)の社長。以前テレビで偶然見かけたが、二子玉川で億ションに住んでいるらしい。

奥さん克子さんが手記を書いて技術解説を息子の隆さんがするようなゴルフ本。

ゴルフダイジェスト社か日経かどちらが先に出すか?注目です。(笑)


え~、最後は余談になったが、この本のワシの評価は星★★★(満点★五つ)です。
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