最近アクセス数が減ってきたけど、アクセスランキングはあまり下がらない。
ということはゴルフがシーズンオフになって、どのゴルフブログも同じ寂しい状況ですかね?

次のゴルフ本は、

真似てまねされ―我がフェアウェー プロ・ゴルファー林由郎自伝真似てまねされ―我がフェアウェー プロ・ゴルファー林由郎自伝
(1997/09)
林 由郎

商品詳細を見る
ベースボールマガジン社刊 1997年9月

<内容>
「青木功、尾崎将司、尾崎直道、飯合肇、福嶋晃子…5人の賞金王を育てた、戦後の日本ゴルフ史を作った、“日本のベン・ホーガン”林由郎「60年の軌跡」。
11歳でキャディーとして働き、16歳でプロ入り、ゴルフ用語が「敵性用語」と呼ばれる時代を経て日本オープンで優勝。現在も指導者として活躍中の林由郎が、自らのゴルフ人生をふり返る。」



林由郎プロは身長160cm・体重58kgと小柄な体ながら、強いリストから変幻自在の球筋を繰り出し、特にアプローチとバンカーショットはプロが教えを請うなど名人芸と言われ、高度なトリックショットはテレビ番組で度々披露していて印象に残っていますな。

ワシは当然ながら現役時代の姿は知らないので、覚えているのはリクエストに応じて千葉弁でひょいひょいとグリーンまわりの難しいライから非常に簡単そうに見本を見せてた姿でした。

TVで独特のひょいひょいと打つ姿からは日本オープン(1950年、1954年)、日本プロ(1949年、1950年、1956年、1961年)、関東オープン(1955年、1960年)、関東プロ(1948年、1953年)、読売プロ(1949年、1950年)と勝ってるなんて想像は出来なかったですな。

この本は林プロがしゃべったことをテープで録音&メモをとり事実関係をチェックして修正して作りあげた本で、

第1章が「日本のゴルフと林吉郎」で、生まれ育った環境からキャディを経てプロゴルファーになり、痛風で42歳で引退まで。
第2章が「良き仲間たちよ」で、弟子の青木功プロ、ジャンボ尾崎他弟子の事と有名人とのゴルフ。
第3章が「私と林吉郎先生」では青木、直道、飯合、海老原、高見、中山プロと女子プロの塩谷育代・福嶋晃子たち弟子からの証言と思い出。
第4章が「私のゴルフ人生」では自らのゴルフ論とプロ論。
第5章が「林流ゴルフの神髄」では林流(我孫子流)のテクニックの数々を分解写真で紹介。
第6章が「昭和のゴルフ史」ではプロゴルフ界の歴史と自らの歴史の年譜。

特に第6章の昭和のゴルフ史は非常に良くまとめられていて、日本のプロゴルフ史が再認識されて良い本でした。

青木やジャンボからは親しみを込めて「とうちゃん」と呼ばれ、気軽に相談される師匠。

そしてベタ足で球を曲げて攻めるのが林流。
自身を含め我孫子・習志野流はフェードですな。

「真似てまねされ」というこの本のタイトルの意味は、昔は手取り足取りで教えることはなく、自ら先輩プロの技術を目で盗むのが常識で、「上達したいなら上手い人の真似をする」ことが重要。
特にプロとして成功した理由の一つであるフックからフェードに転向するキッカケである下記の出来事がプロのターニングポイントとして書いていますね。

それは1948年関東プロで優勝後関西でのエキシビションマッチで、フッカーだった林プロは左足下がりのライで空振り。戸田藤一郎プロに笑われ「右もあれば左もあるんやで」フックとスライスを打ち分ける見本をみせてもらい、良いものは全て真似て取り入れる柔軟さ重要と悟ったことだ。

笑ったのが最後の弟子がモノマネの栗田貫一さん。
栗田貫一が林プロのモノマネをしていたのは覚えていますが、栗田さんのモノマネが上手かったのは直接林プロに教えを受けたからだったからですな。(笑)

この本は装幀も立派だし、本人いわく青木とジャンボという二人の現代を代表するトッププロを育てたことで引退しても食える(笑)し、親しみやすい性格でみんなから愛された林プロの素顔がわかって面白かったですな。

ただ誤字がワシが見つけただけで3か所ありました。校正が荒く少し残念ですな。

え~このゴルフ本の評価は★★★です。(満点は★五つ)


「ゴルフ界にまた悲報…青木功ら育てた林由郎氏死去」[2012年1月3日 06:00]

1949年日本プロ、50年日本オープンなどで優勝し戦後のゴルフ界の隆盛を築いた林由郎(はやし・よしろう)氏が2日午前8時20分、老衰のため茨城県内の施設で死去した。89歳。青木功、ジャンボ尾崎、福嶋晃子ら数多くのトッププロを育て指導者としても活躍した。12月28日に亡くなった杉原輝雄プロに続き、年明け早々ゴルフ界が悲しみに包まれた。

 林氏は6年ほど前から体調を崩し、茨城県内の施設で暮らしていた。親族以外との面会は避けていたが、「青木には会いたいな」と話していたという。12月中旬に廊下で転んで頭を打ってから元気がなくなり、この日朝、施設の担当者が部屋を訪れた際には既に息を引き取っていた。遺体は昼頃に千葉県我孫子市の自宅に運ばれ、午後から親交のあるプロが弔問に訪れた。

 我孫子市の農家に生まれ、10歳の時に実家近くの我孫子GCで日曜キャディーのアルバイトを始めて16歳でプロ転向。左脇にコインを挟んで打つ独特の練習方法で技術を磨き、1メートル60、58キロの小柄な体ながら、48年関東プロ、49年日本プロなどで優勝。故中村寅吉氏らと戦後のゴルフ界復興を担った。56年のカナダカップでは4位に入り国際舞台でも実績を残した。

 また、我孫子GCでは「練習場では意識して曲がる球を打て」と独自の理論で青木や鷹巣南雄、海老原清治らを育て我孫子一門を確立させた。さらに千葉・習志野CCに移ってからは、プロ野球から転身したばかりのジャンボを預かり「野球界を見返してやれ」としったしながら大成させた。バンカーショットの名手としても知られ、福嶋も小学4年の時から指導。門下からは青木、ジャンボ、尾崎直道、飯合肇(日本ツアー)、海老原(欧州シニアツアー)、福嶋(日本女子ツアー)と6人もの賞金王、女王を輩出した。

 今月27日が90回目の誕生日だったため、孫のプロゴルファー・由寿(38)は「家族で90歳をお祝いしたかった。それが心残りです」と話していた。

 ◆林 由郎(はやし・よしろう)1922年(大11)1月27日、千葉県出身。小学校卒業後、我孫子GCキャディー、研修生を経て16歳でプロに。兵役後の48年に関東プロで初優勝。日本オープン2勝(50、54年)、日本プロ4勝(49、50、56、61年)、関東オープン2勝(55、60年)、関東プロ2勝(48、53年)と当時の4大大会全てに優勝。通算12勝。94年スポーツ功労者文部科学大臣顕彰。元日本プロゴルフ協会副会長。

 ▼青木功 プロゴルファーになるきっかけをつくってくれたのは林のオヤジだった。1勝した後に背中を押してくれたのも林さんだった。もしその後押しがなければ、永久シードが取れていたかは分からない。心より哀悼の意を表します。

 ▼松井功 17歳で入門し“一球一球目で覚えろ”という先生の教えを守って青木功さんと寝る間を惜しんで練習したことが私の大きな財産になっています。日本ゴルフ協会の会長としてゴルフ界に恩返しができたのも先生のおかげです。

 ▼尾崎 将司 習志野では「おやじさん」と呼ばれて慕われていた。小柄な体でコントロールを重視し、最初にフェードボールをものにした人だった。私もフェードをものにして、結果を出すことができた。杉原さんに続いて偉大な先輩が亡くなり寂しい限りです。ご冥福をお祈りします。

 ▼福嶋晃子 母に連れられて10歳の時に初めてお会いしてから28年、今のわたしがいるのも先生のおかげです。今でも先生の明るい笑顔が思い出されます。本当にありがとうございました。
関連記事
スポンサーサイト

コメント

コメントの投稿

トラックバック

トラックバック URL
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)