今日も明日も暑い中で休日出勤。
だから何もない。

ただ今更だけど先日から西條八十の詩が気になっているワシがいる。

いや別にテンションが下がっているわけではない。
まっ商売でブログ書いてないし、人生はゴルフだけじゃないんで。(笑)
ただ今月は1回ぐらいはラウンドしようかとは思ってるけどね。


先日このブログで「最近読んだ漫画で面白かった森秀樹作 「腕 -駿河城御前試合-」にも書いたけど、この漫画も面白かったのだけど、それにもまして森さんがあと書きに書いていた西條八十の「蝶」という詩に強く心ひかれたんだな。

yasosaijyo.jpg

wikipediaによると西條 八十(さいじょう やそ、男性、1892年(明治25年)1月15日 - 1970年(昭和45年)8月12日)は、日本の詩人、作詞家、仏文学者。北原白秋と並んで大正期を代表する童謡詩人で、歌謡曲の作詞家としては「東京音頭」、「支那の夜」、「東京ブルース」、「蘇州夜曲」、「同期の桜」、「青い山脈」、「ゲイシャ・ワルツ」、「王将」、「夕笛」など数えきれないヒット曲を生み出している。


で、気に入った詩をいくつか


「蝶(てふ)」  西條八十

 やがて地獄へ下るとき、
 そこに待つ父母や
 友人に私は何を持つて行かう。

 たぶん私は懐から
 蒼白め、破れた
 蝶の死骸をとり出すだらう。

 さうして渡しながら言ふだらう。

 一生を
 子供のやうに、さみしく
 これを追つてゐました、と。




「夢」      西條八十

 夜なかに
 ふと眼ざめると
 三つになる女の児が
 はげしく笑つてゐました、
 ねむりながら、さも楽しさうに
 声たてて笑つてゐました。

 母親は手をかけて
 その子を揺りさましました。
 「嬢や、夢ですよ、みんな夢ですよ、
 さ、起きてお母さんの顔をごらんなさい。」
 女の児はパツチリ眼をあいて
 うれしげに母親の面を見まもり、
 ふたたび安らかな眠りに入りました。

 自分の臥床に戻つてから
 母親はなぜか永く眠られませんでした、
 ふとも悲しいこころが
 その胸をとらへました。

 「ああ、誰かいま優しい声が
 わたしの耳もとちかく 夢ですよ、みんな夢ですよ、と
 囁くことはないであらうか、────
 さうして眼をひらくと
 あたりは輝かしい十六の若い朝で
 枕辺にあの昔懐かしい父と母が
 微笑んでゐることはないであらうか」────

 しづかに更けてゆく春の夜よ、
 母親の眼には、いつか
 幼児のやうな涙がわいてゐました。




「ねがい」    西條八十

 わたしが死んだら、深く深く埋めて下さい、
 小鳥の楽しい歌など聴こえないところに、
 そして、陰気な石と鉛でかたく包んで下さい、
 哀れなわたしの灰が春を感じるといけませんから。

 花など近くに 決して植ゑないで下さい、
 星のやうな萼や、やさしい茎や、
 アネモネでも、また菫でも、決して、────
 哀れなわたしの灰が昔を想ひだすといけませんから。

 それから、鳥よりも、花よりも、露よりも、いとしいあなた、
 あなたはどこへ旅なさらうとも、
 決してわたしのお墓の傍は通らないで下さい、
 哀れなわたしの灰があなたの夢をみるといけませんから。



そしてあんなにヒットしたのに西條八十作だとは知らなかった詩で、
1977年の角川映画森村誠一「人間の証明」でジョー山中が英訳し歌い大ヒットしたテーマ曲。


「ぼくの帽子」  西條八十

母さん、僕のあの帽子、どうしたんでせうね?
ええ、夏、碓氷から霧積へゆくみちで、
谷底へ落としたあの麦わら帽子ですよ。

母さん、あれは好きな帽子でしたよ、
僕はあのときずいぶんくやしかった、
だけど、いきなり風が吹いてきたもんだから。

母さん、あのとき、向こうから若い薬売りが来ましたっけね、
紺の脚絆に手甲をした。
そして拾はうとして、ずいぶん骨折ってくれましたっけね。
けれど、とうとう駄目だった、
なにしろ深い谷で、それに草が
背たけぐらい伸びていたんですもの。

母さん、ほんとにあの帽子どうなったでせう?
そのとき傍らに咲いていた車百合の花は
もうとうに枯れちゃったでせうね、そして、
秋には、灰色の霧があの丘をこめ、
あの帽子の下で毎晩きりぎりすが啼いたかも知れませんよ。

母さん、そして、きっと今頃は、今夜あたりは、
あの谷間に、静かに雪がつもっているでせう、
昔、つやつや光った、あの伊太利麦の帽子と、
その裏に僕が書いた
Y.S という頭文字を
埋めるように、静かに、寂しく。



「人間の証明 テーマ曲 ジョー山中」

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