え~昨日お客さんから「26日のミニコンペが人が足らないのでお願い♪」って電話があり、
その日は別に忙しくないので代休をとって参加することにした。

久々だし練習もしていないので別に100叩きでもかまわんが、少し練習と寒さ対策するかな?(笑)

え~次のゴルフ本はちと古いが、なかなか面白かった鬼のトイチの生涯を描いた伝記です。

日本最強のプロゴルファー伝―鬼才・戸田藤一郎の生涯 (小学館文庫)日本最強のプロゴルファー伝―鬼才・戸田藤一郎の生涯 (小学館文庫)
(1999/09)
早瀬 利之

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小学館刊 1999年9月  著/早瀬 利之、解説/陳 清波

<内容>
「天才プロゴルファー「鬼のトイチ」の勝負師人生。
本当は小心者だった。だから女に溺れ、大酒を飲んだ。そして人に隠れ深夜、猛練習をした。心を読まれないように黒いシャツ、黒いズボン、黒い眼鏡で試合にのぞんだ。武器は、「右手はアクセルや。右手のスピードで飛ばすのや」という300ヤードのロングドライブと、風を切り裂いてピンに絡むパンチショット。十八歳で初優勝、二十四歳でグランドスラムを達成し、戦争の十年をはさんでまた優勝、さらにゴルフ界追放のブランクを経て十四年後再び優勝。五十六歳のときに、公式戦で三十四歳の杉原輝雄を破った日本最強のゴルファー・戸田藤一郎の破天荒な勝負師人生。 」

■戸田藤一郎 (1914~1984)
「10歳から甲南GCのキャデイとして働きながら、見よう見真似でゴルフを覚える。廣野GCが創立されるとそこへ移る。18歳でプロの資格を得ると19歳で初優勝。35年渡米、全米オープンに出場。W・ヘーゲンの回顧録に、日本からきた6人のなかで素質抜群、外国勢のなかでも最極上と記されている。39年日本オープン、日本プロ、関西オープン、関西プロを獲り、同年グランドスラムを達成。圧巻だったのは63年の日本オープン。25年ぶりの2勝目だった。71年57歳で関西オープン7回目の優勝。38年の長きにわたって第一線にいたことになる。」



これはたまたま電子版の立読みコーナーで少し読んでみて、
面白そうだったので価格をamazonの中古本と比較して、安い方のアマゾンで購入し読みました。
こういう中を少し拝見できるのが電子版図書の良い所ですが、一番の問題は高い。(笑)

で、これは週刊パーゴルフ連載していたものを、
立風書房より1988年刊行「右手ー鬼才・戸田藤一郎の生涯ー」として出版、その後に1999年に加筆修正した文庫本。

Golf Digest TVの「名手・達人の言葉」によると、戸田藤一郎の言葉として、
「半端なゴルファーほど、自分のスウィングについて語りたがる。」
「左手はハンドル、右手がアクセル」
という名言があります。

『スウィングにおいて、両手の役割は昔からさまざまにいわれてきた。鬼才「トイチ」といわれた戸田藤一郎は右手至上主義だった。「器用で力のある右手を使わんで、なんで飛ぶもんかいな! 左手はそえとくだけでいいんや」が口ぐせでもあった。
 165センチと小柄だったが、右手をつかったそのスウィングで、パーシモン時代300ヤードを飛ばしたこともある。全盛時代のジャンボ尾崎が不調になり、戸田に教えを乞うたこともあったほど。

 戸田のもうひとつの武器はパンチショット。向かい風のなか3番アイアンで、10メートルも上がらない低い球で200ヤードも飛ばし「永遠に落ちない矢」と表現した人もある。今も残っているスウィング写真は、インパクトの直前までクラブは『溜まって』ほとんど地面に垂直になっている。

 そして戸田のすごいところは、選手寿命の長かったことである。19歳で関西オープンに優勝し、その38年後、なんと57歳で同大会を勝っているのだ。

 人生の足跡もまた異色だ。女に溺れ、大酒をくらい、黒シャツ、黒ズボン、黒サングラスで試合に臨んだ。練習は深夜。練習するのを人に見られたくなかったのだ。名門廣野ゴルフ倶楽部にいたとき、メンバーのクラブを売り払って追放されたこともある無頼派。最後のときを迎えたときは京都の蕎麦屋の親父であった。』

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右の画像はこの本のなかにあった昭和10年日米対抗戦のメンバーに、
若干19歳で選ばれてNYのエンパイアステートビル屋上にて(右から3番目がトイチ)


著者早瀬利之さんのゴルフ本は今までに「遼、走る―石川少年マスターズへの道」と、「偉人たちのゴルフ 昭和の大物55人 芝の上の素顔」とを読んでいて、あまり評価はしていなかったが、これは面白いや。

これはたぶんトイチの天才ぶりと破天荒で波乱万丈の人生が面白いのだと思う。
たぶん著者も人物に興味があって取材が丁寧ですし。

で戸田藤一郎(トイチ)のスイング動画を探したが見つからず、
以下のスイング画像はこの本に載っていたスイング写真です。タメがすごいです。

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実家の近くに日本で2番目に出来たコース横屋ゴルフアソシエーション(後の甲南ゴルフ倶楽部)であり、教えてもらったのが近所の日本プロ第一号の福井覚冶。そして小学生の時からキャディを始め、昭和8年出来たばかりの廣野ゴルフ倶楽部にプロ助手として入社。そしてそこから始まるトイチの伝説。

戸田藤一郎の歴史を辿りながら、戦前、前後のゴルフ史がよくわかります。
アメリカではハリウッドオープン2位、マスターズにも出場しウィンターツアーで総合22位。
そして生涯のライバル宮本留吉、関西&関東のプロ達、アメリカで覚えたパンチショットと300yを超える飛距離、日本初のグランドスラム、そして堕落した生活等でプロ資格剥奪され廣野を追われ、高松に逃げたのが35歳。
そこから10年後44歳でプロ復帰、48歳で日本オープン優勝、54歳と56歳で関西プロ優勝と年齢に関係ない強さを発揮。
そして晩年は京都で蕎麦屋の親父になるが、青木、尾崎など、金井などを教え、永年の酒の不摂生の影響で十二指腸潰瘍で死去。

これはプロゴルファーの伝記としてとても面白いわ。

昔のプロゴルファーであり酒飲みで賞金もその日のうちに使い果たしてしまう借金生活だが、ゴルフの腕はピカイチ。贔屓、弟子、ファンも多くて歳をとっても強かったわけで、

ワシもパンチショットもどきのショットを打っていたんで日本の本物のプロの人生を知ることが出来て良かったです。(ただワシの場合は先生は青木功プロですが。)

え~ワシのこのゴルフ本の評価は★★★★です。(満点は★5つ)

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